7月は『ここが限界と思った所が限界』です

7月の「こころのことば」は『ここが限界と思った所が限界』(萩原清虚作)です。自分なりに解釈をすると “人は日々一生懸命に限界に向かって生きています。その限界をすぐにあきらめてはいけません。人は一生懸命、その限界に立ち向かっていき、これ以上ないと思った時がその人の限界です。それは、自分が一生懸命に頑張ったという達成感が大切なのです。” というように思います。いいことばですね。・・・By おっさま

昨日は、入山式に出ました

久しぶりの、ブログとなりました。昨日は、時宗のお寺で十日町市にある来迎寺の“入山式”に出て来ました。お寺では新たに住職となった場合、住職を迎え入れる儀式を“晋山式”(お寺では山号を持ち、その山(寺)に晋む意味)といい、それ以外の僧侶をお寺に迎え入れる儀式を“入山式”(その山(寺)入る意味)と言います。昨日は、入山式で来迎寺へ副住職が入山(お寺に入った・就任をした)をした儀式を行いました。寺院方々30人集まり、最初に同じ宗門で近くにある聖衆院というお寺でお経を読み、そのあと行列を組んで来迎寺へ入山をしました。行列は国道を歩き、警察や警備員の協力のもと、行列は100m以上にもなり沿道にはカメラやビデオを持ったたくさんの人達が集まりました。その後寺院の山門へ到着し開門式行い、入山者から「開門」の発声と共に山門が開き行列者が次々と本堂へ入り、本堂にて入山式が執り行われました。このような大行列や大法要は、自分も住職に就任をして初めての経験でした。来迎寺の檀信徒や十日町市民も一度見られ、素晴らしい経験をしたと思います。来迎寺の檀信徒も副住職が入山され、たいへん喜んでいました。・・・By おっさま

6月は『日々努力 夢に近道はない』です

6月の「こころのことば」は『日々努力 夢に近道はない』(萩原清虚作)です。自分なりに解釈をすると “人は生きていくためには、自分の思い通りにはなりません。また、そう簡単にものごとが進まないのが常です。そしてその夢や目標を成就させる為には、色々な見えない努力が必要です。自分の夢や目標を達成するためには、たやすいことではありません。日々の努力を怠らず、その努力が実ったとき初めて夢や目標が達せられると思います。” というように思います。いいことばですね。・・・By おっさま

5月は『苦しい山辛い谷を越えて人は大きくなる』です

5月の「こころのことば」は『苦しい山辛い谷を越えて人は大きくなる』(萩原清虚作)です。自分なりに解釈をすると “人は楽ばかりをしては、大成しません。生きていくためには、苦しいことや辛いことなど色々な苦難が待っています。それを経験することにより、自分の中に免疫ができて、同じような苦難に向かっていくことができると思います。それはその人の器を大きくさせるものなのです。” というように思います。いいことばですね。・・・By おっさま

桜が満開です

久しぶりのブログです。こちらは今、桜が満開です。朝晩はまだ少し寒いですけど、日中は大分暖かくなりました。やっと桜が咲き始め今がちょうど見頃かも知れません。今日は、夜の8時頃、妻と2匹のワンコと銭渕公園というところへ桜を見に行きました。ライトアップされていて、すご~くきれいでした。少し寒かったんですが、たくさん人が出ていましたね。あともう少し、桜を楽しみながら散歩をしています。・・・ Byおっさま
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お寺から近くにある“銭渕公園”の夜桜です

4月は『頬に風を感じてみる』です

4月の「こころのことば」は『頬に風を感じてみる』(萩原清虚作)です。自分なりに解釈をすると “風を感じて生きることは、自然に生きていくことが大切だと思います。あれもしようこれもしよう、ではなく向かってくることに自然に対処していこう。” というように思います。いいことばですね。・・・By おっさま

今日は雪が降りました

久しぶりの“つぶやき”です。今日、朝起きたら雪が降っていました。昨日までは、春のお彼岸であり「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、いよいよ春かな?という時に雪が舞い降りてきました。東京では桜の開花予報のニュースが出る中、こちらではまた冬の到来?という感じでした。こちらは3月に入り雪も徐々に消え始め、全体的には例年よりも少なめな降雪ではなかったかと思います。皆さんもこれから春に向かい、花々もきれいに咲く季節です。心機一転新たな気持ちで、新年度を迎えましょう。・・・By おっさま
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今日の朝の弘長寺です。

3月は『願いを持つだけで 生きる元気が湧いてくる』です

3月の「こころのことば」は『願いを持つだけで 生きる元気が湧いてくる』(萩原清虚作)です。自分なりに解釈をすると “人は夢を持ち、それを目標として願いを持ちます。その願いを持つことは夢を追いかけていくことなので、願いを持つことは生きていくかてになるのではないかと思います。” というように思います。いいことばですね。・・・By おっさま

2月は『やれることから始めよう』です

2月の「こころのことば」は『やれることから始めよう』(萩原清虚作)です。自分なりに解釈をすると “あれもやり、これもやり、などと色々なところに手を出すと、どれもうまくいかなくなりがちです。我々は目の前にある、できることからコツコツ始めましょう。この積み重ねが成功につながると思います。” というように思います。いいことばですね。・・・By おっさま

どうして亡くなった歳を「数え歳」で表すのか

 この地域では、亡くなった方の歳は満年齢ではなく「数え歳」で表します。「数え歳」とは、生まれた時が1歳で、正月(1月1日)を迎える毎に1つずつ加える、日本古来から伝わる年齢の数え方です。お母さんのお腹の中に生が宿る(生まれる十ヶ月前)期間を1歳と数え、生まれた時には、すでに1歳となっているのです。それは「命」というものを、とても大切にしている考え方なのです。そして、お正月には、年神様(としがみさま)から皆が1つ歳を頂きます。それは、皆の誕生日のようなものですから、1月1日に「おめでとう」と挨拶をします(1月1日は、1つ歳をとる誕生日だから「おめでとう」と挨拶する)。よくこの地域では、「12月31日の晩に“歳取り魚”を食べる。」とか「1月1日(正月)になると“1っぽ歳を取った”」などと年配の方は言います。それが、この年神様から1つ歳を頂いた表れです。ですから、弘長寺では亡くなった人に「行年〇〇歳」(〇〇歳は数え歳)と授ける時、“1月1日(正月)誕生日と見なし、年神様から歳を1歳頂く”考え方で、亡くなった日までに、誕生日迎えている方は、「満年齢+1歳」となり、「亡くなった日までに、誕生日迎えていない方は、「満年齢+2歳」としています。(お母さんのお腹で生を授かった歳と毎年1月1日に歳を頂いた考え方です)・・・By おっさま