長生きをされたおばあちゃんの葬儀でした

昨日、行年103歳を迎えられたおばあちゃんの葬儀を致しました。弘長寺での檀家でも100歳を迎えられた方は数えるほどしかいません。葬儀も家族の方々が集まり、今までおばあちゃんから頂いた思いへの感謝の気持ちを込めた素晴らしい葬儀でした。こちらの地域では、長生きされた方が無くなると“大往生”されたといいます。この“往生(おうじょう)”とは、“往(おう)”は「行く」という意味を表し、“生(じょう)は「生まれ変わる」という意味を表します。まさしくおばあちゃんは、「この世においてすばらしい人生を過ごされ、生まれ変わって浄土の世界へ旅立って行きました」。お顔もすがすがしく大変美しいお顔立ちでした。また弘長寺では代々と亡くなられた歳を“行年(ぎょうねん)”と書きます。これはこの世において修行を納められた歳を大切にしているためです。また亡くなった歳も数え歳で表します。それはお母さんのお腹の中に10カ月前に生を宿し、この世に生れて来た時にはおかあさんのお腹に生を受けた期間をたして、1歳と数えることから来ています。おばあちゃんのご冥福をお祈り致します。・・・By おっさま

アジサイがきれいでした

今日の朝早く、雨上がりの合間を見て妻と愛犬2匹で散歩に行きました。ちょうど自宅近くの魚野川の堤防土手沿いにアジサイがきれいに咲いていました。アジサイの花は雨上がりの後が一番きれいですね。アジサイにはやっぱり雨が似合いますね。妻と愛犬2匹が見とれている間に写真を撮りました。こちらの地域では今頃がアジサイがきれいな時期です。・・・By おっさま
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魚野川堤防沿いに咲いたアジサイです

久しぶりに昔の友に会いました

7月5日に東京の先輩方が私を呼んでくれて久しぶりに会食をしました。私は高校を卒業をしてからは大学、就職とずっと東京に住んでいました。お寺とは関係はなく一般の社会人でした。その頃お世話になった先輩方が、年に一、二度私を東京に呼んで会食会を開いてくれます。当日は7人ほど集まり東京ドームホテル43Fで夜景を見ながらお酒などを飲み昔話を語らいました。私も昔の友と語らうことができ、お寺の世界ばかりではなく一般人の方々と交流ができ昔の自分に帰ることができました。翌日は午後から法要が入っているので、朝の新幹線で帰ってきてあまり長くは居られなかったのですが、このように私を呼んでくれた先輩方に感謝しきりです。現在も同級生や以前の職場の同僚や後輩とも親しくさせて頂き、友の大切さを感じさせられます。お寺の僧侶の前に人としてのお付き合いも大切にしたいと思いますね。・・・By おっさま

檀家さんからの相談

今日、檀家さんから仏事の相談がありました。その方は女性で家系が複雑で、亡くなられたお母さんは育ての親で、その女性に愛情を注ぎ優しく育てあげた方でした。お母さんのお墓や先祖のお墓は弘長寺境内にあり、その方からはこれからもずっとお守りをさせて頂きたいという申し出がありました。その方から亡くなったお母さんの事やこれからの自分の思いなどを色々お話を伺いました。純粋に育ててくれた母親への愛や先祖を一人で守るという思いがあり、今時の世の中では素晴らしい意志を持ったお方です。その方に言いました。亡くなった仏様はあなたの心の中にずっと生き続け、いなくなったのではありません。自分の幸せも大事にしながら、悩み事や仏事について困った事があったらいつでも相談に来て下さい。「自分が幸せになる事は、仏様も幸せになる事です。自分の幸せと共に仏様も生き続けるのですから」・・・By おっさま

坂戸山の山開き

今日から7月に入りました。もう今年も半分が過ぎ去り残りあと半分となりました。月日が経つのは早いですね。今日は、坂戸山の山開きです。昨日の夜は登山をされる方がたくさんいて、坂戸山の尾根伝いに光の線ができ、大変きれいでした。昨日は坂戸山を御守りしている「寶珠院」の御住職や信徒一行が登山をされ、山のほこらで一泊され坂戸山の開山祈祷を行いました。今年も事故が無く坂戸山の登山ができますように祈っています。PS.坂戸山の高さは、スカイツリータワーと同じ634mです。・・・By おっさま

7月は「じっくり待てば 芽が出てくる」です

7月の「こころのことば」は、「じっくり待てば 芽が出てくる」(萩原清虚作)です。自分なりに解釈をすると“人は生きているがゆえに、楽しいことばかりではなく、辛いことや悲しいことに出くわします。そして自分は何でこんなに苦しいのだろうと思う方もおられます。ですが人生は辛い事ばかりではなく、いつかは必ずその事が報われる時が来ると思います。人は今がどうであるのではなく、この世の終焉を迎えた時に、私の人生は良かったと思う事が大事なのです。”というように思います。いいことばですね。・・・By おっさま

Q お数珠(じゅず)はどのように持つのですか?

Q)お数珠はどのように持つのですか?

A)先般、ある地区のふれあいサロンでの法話の後、「お数珠はどのように持つのですか?」という質問がありました。まずお数珠の珠の数ですが、煩悩の数を表し108個であります。ですが各宗派によるお数珠の輪の大きさにより、54個(煩悩が1珠2つ)、36個(煩悩が1珠3つ)、27個(煩悩が1珠4つ)と108で割り切れる数がよろしいと思います。(煩悩を消してくれる数)お数珠の持ち方は、宗派によって違いがありますが、必ず左手に掛かっています。多々説がありますが、仏教では合掌(手を合わせる)時、左手はインドでは不浄の世界、すなわち私たちの世界を指します。右手は仏様の清浄な世界を指しています。そして私たちの世界と清浄な仏様の世界が手を合わせることにより、一つとなって仏様への感謝の気持ちを表します。そして左手に数珠を掛けることにより、自分の煩悩を消して仏様へ向かうのです。よって必ず数珠は左手に掛かっているのです。ですから宗派によっては左手だけ又は左手と右手の両方に掛かっている場合もありますが、絶対に右手だけに持つことはありません。また説によっては、真逆で左手が清浄な世界すなわち仏様の世界で、右手が私たちの世界であり、清浄な手である左手に数珠を持つという説もあります。弘長寺では前説を基本とし、また数珠の持ち方は左手の親指と人差し指の間に掛かり(左手だけ)に持ちます。詳しい数珠の意味と掛け方は、「弘長寺便利帳(赤本)平成23年3月二版」の110ページに載せてあります。

ふれあいサロンで法話をしました

今日、六日町のある地区で法話を致しました。この地区は、おばあちゃん達が“ふれあいサロン”というコミュニティーを作って定期的に催しをしています。今回、弘長寺の住職として法話の依頼がありお受け致しました。昨年にも1回依頼があり、今回で2回目でした。当日は地区の集会所で行い、おばあちゃん達が20人ほど集まって和気あいあいの“ふれあい法話”を行いました。私は、お寺に入ってまだ7年ほどであり、まだまだ仏教についてのむずかしいお話はできません。私が在家(一般人)として長年過ごして来たこととお寺に入って勉強をしたことを合わせ、おばあちゃん達と同じ感覚の目線で、「幸せになって生き抜く大切さ」を約1時間お話をしました。足のわるいおばあちゃん達ですので足は自由に伸ばして、お茶を飲みながら気軽にお話をさせて頂き、笑いの絶えない“法話”でした。あるおばあちゃんからは、この法話を楽しみにしていてこれからの生きる糧ができましたと言われ、自分でも少しは役にたったのかなあと感じました。これからもおばあちゃん達は、寿命が尽きるまで幸せになって過ごしてください。・・・By おっさま

今日の法事

今日、檀家さんの七回忌の法事が自宅でありました。亡くなった方は弘長寺開山以来、男性で初の行年100歳の方でありました。おばあちゃんも元気で今年で95歳を迎えたそうです。弘長寺では100歳以上の方は女性では数名いるのですが、男性ではこの家の方だけしかいません。この日は遠方に居られる子供たちも集まり(子供たちと言ってもおじいさんになっている)家族だけで心のこもった法事でありました。法事の後、施主(長男)がたくさん料理を頼んで頂いて、みんなでお斎(法事の後の会食)を頂きました。おばあちゃんや皆さんといろいろな話ができ、大変有意義なお斎でありました。お斎のよいところは、普段会えなくお話もできない方々が集まり、いろいろな思いで話ができるところがいいですね。みんな家族が和気合い合いと楽しんでいる姿を見て、浄土におられる、おじいちゃんも喜んでおられることでしょう・・・By おっさま

今日は廣田家の法事でした

今日は、私(住職)の父の十七回忌、母の十三回忌の法要でした。私の家は在家ですので一般の皆さんと同じような法事でした。父の兄弟と母の兄弟と妹夫婦へご案内をさせて頂き、自宅にて法要を営みました。自宅での法要の後、廣田家のお墓参りをしてお斉会場へと行きました。法事と言うのは「三と七」の回忌に行います。それは10年に二度、5年に一度のことであります。5年に一度は形にとらわれず父母を思い出す為にも法事が必要と思います。いつもは父母の兄弟が遠方であるので、妹夫婦と営んでいましたが、今回は久しぶりに父母の兄弟も快く来て頂きました。そしてお斉の時に、普段親戚同士がが離れていて、あまり話す機会がなかったのですが、この度久しぶりに会う事ができ、いろいろな話に花が咲き有意義な会食でした。これも父母のおかげで縁ができ親戚付き合いができるのも父母へ感謝をしています。これからも親戚を大切にして廣田家一族が団結できればよいと思います。みなさんも現在このように暮らしていられるのも親や先祖のおかげです。親や先祖を大切にしましょう。・・・By おっさま