永代供養墓の基礎工事が終わりました

今日、永代供養墓の基礎工事が終わりました。連日の暑い中、工事に携わった方々へ“ご苦労さまでした”。これからは、石材を加工して基礎工事の上に墓を建てていきます。完成は、7月22日ころの予定だそうです。弘長寺としても、7月28日に「墓碑開眼式」を予定しています。開眼式とは、新しいお墓に魂を入れる儀式です。この開眼式のあと、8月から永代供養を始めていきます。檀家の方々は、寺院へお参りに来た際には完成した永代供養墓を見てください。・・・By おっさま

Q 「御霊前」と「御仏前」の違いについて?

Q 「御霊前」と「御仏前」の違いについて?

A 「御霊前」と「御仏前」は各宗派により違いがあるかも知れませんが、弘長寺においての説明をさせて頂きます。昔は、葬儀や法要の時に備えるのは、地方ではお金がなく野菜などの農作物や供物などを供えたものでした。現在では金品を供えることが多くなりました。そして「御霊前」と「御仏前」の違いですが、こちらでは、弘長寺では葬儀の時に七本塔婆を書きます。それは故人が亡くなり49日間を中陰(ちゅういん)または中有(ちゅうう)と言います。この期間は、故人があの世へ旅立つ期間であり、故人が生と死、陰と陽の狭間にいるのでこのような呼び方をします。その間初初七日忌、二七日忌、三七日忌・・・と住職が故人の生前の罪を悔い改めるために経を読みます。よってこちらでは「四十九日忌まで仏さまが家の中にいる」と言われています。(家の中に神棚がある家は、神様は忌事を嫌うために49日間(四十九日忌法要が終わるまで)神棚に和紙などで目隠しをします)よって満中陰忌(四十九日忌)法要までは「御霊前」とし、それ以降は故人があの世へ旅立ったので「御仏前」とします。現在は、包み袋に「御霊前」や「御仏前」(“仏さまへ”という意味であり)と印刷されていて、それに金品を包みますが、仏さまへお金を差し上げても仏さまは自分で使うことはできません。これは昔から野菜などの農作物や供物を仏さまへ供えた風習から来ています。本来なら「御香資」や「御香料」と書き、その中に金品を入れて喪主または施主へ渡して、「私の代わりにお香を買って仏さまへ供えてください」というのがよいのかも知れません。・・・ですが一般的には「御香資」や「御香料」と印刷されているものが中々見当たりません。

前住職奥さんの四十九日忌法要を行いました

今日7月7日、前住職奥さんの四十九日忌法要を行いました。本来の日にちは7月6日が四十九日忌ですが、ご家族の希望で本日行いました。7日は前住職の月命日(平成19年1月7日遷化)であります。今年の1月には前住職の七回忌を行いました。そして今日の四十九日忌法要を済ませ、6年ぶりに前住職とお会いできたのではないでしょうか。また今日は“七夕”で彦星と織姫が年に一度合う日に前住職ご夫婦もお会いすることができ、喜んでいると思います。そしてこれからも、弘長寺の発展とご家族の幸せを見守っていることと思います。合掌。・・・By 住職

永代供養墓の工事が始まりました

弘長寺では、永代供養墓の工事が始まりました。この南魚沼地域の風習で「土用に入ったら土を動かすな」というのがあります。ですから土用に入らないうちに、土を動かす基礎工事を始めました。こちらの地域は“魚沼”と付くだけあって、沼地だったのでしょう。この度の永代供養墓の基礎工事も、20センチ掘ったら水が出て来ました。魚沼という名前の由来も、このようなことから来ているのでしょう。ですが基礎工事はしっかっりと行われています。・・・By おっさま

Q 「南無阿弥陀佛」とは?

Q 「南無阿弥陀佛」とは?

A 弘長寺の宗旨は時宗であります。ご本尊様は阿弥陀佛さまです。「南無阿弥陀佛」の意味は、「南無」とは、インドの言葉サンスクリット語で“namo(ナーモ)”帰依すると訳します。このナーモが音写として“南無”になりました。「阿弥陀佛」は“無量光明の佛(amitaabha)”の「はかることのできない」という部分の“amita(アミタ)”を表し、それは「阿弥陀佛に帰依する」ということです。それは「阿弥陀佛さまへすべておまかせします」ということです。ですから阿弥陀佛さまをご本尊としている浄土宗や浄土真宗なども「南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)」と唱えます。また曹洞宗や臨済宗などはご本尊さまがお釈迦さまですので、「南無釈迦牟尼佛(なむしゃかむにぶつ)」と唱えます。真言宗はご本尊さまが大日如来さまで、「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と唱えます。日蓮宗や法華宗などは法華経の教え(法)を大切にしているので、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と唱えます。華厳宗や律宗などはご本尊さまが毘盧遮那佛さまですので、「南無毘盧遮那佛(なむびるしゃなぶつ)」と唱えます。このように各宗派が唱える言葉は、「南無(帰依する)+ご本尊さま」となることが多いのです。

親戚の法事に出席しました

今日、親戚の壱周忌法要に出席しました。親戚の菩提寺は曹洞宗のお寺でした。そこのお寺の住職とは、私が以前住んでいた家とはお寺が近くであり、私が仏門に入る前から、その住職が役場に勤めていたころ、私の仕事関係でも知り合いでありました。その後、私が弘長寺のお寺に入り互いに住職同士という立場でお会いをし、お斎(法要の後の会食)の席で昔の事や時宗と曹洞宗の宗の事など色々とお話をさせて頂きました。法要は曹洞宗であり、この地域は曹洞宗が多い地区なので久しぶりに曹洞宗のお経を聞かせて頂きました。お経はその宗派により違いはありますが、故人へ対する功徳を積むことには変わりないのです。故人や家族も安心をして壱周忌を終えることができました。明日は、私の檀家の法事が入っています。今度は時宗式で法要を行います。その檀家の故人へ心を込めて法要をさせて頂きます。そして私の親戚は、曹洞宗や真言宗の寺院が菩提寺の方ばかりですので、様々な宗派の経や作法に出会うことができて勉強になります。それらの宗の住職から様々な説法やお話を聞くことができ、それらを心に留め弘長寺の住職としての知識に反映したいと思っています。・・・By おっさま

六地蔵様を移転しました

今日、本堂前にある六地蔵様を移転しました。その跡地に永代供養墓を建立いたします。7月28日に開眼式を予定しています。六地蔵様は移転する前に業者さんが清掃してくれるそうですので、清掃後に門の前に移転をします。そしてそこに永代供養墓ができますので、檀家さんは8月盆のお墓まいりの時に見てください。将来永代供養をお考えの方は、お寺へ連絡をください。・・・by おっさま
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移転前の六地蔵さまです。本堂の前にありました。

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移転後の六地蔵さまです。正門の前に移転しました。

同宗派住職の葬儀が終わりました

今日、同宗派の住職の葬儀が終わりました。この度の葬儀は、密葬ということで執り行い、後日、本葬儀を執り行うということです。住職の葬儀は一般在家の葬儀とは違う葬儀式でした。葬儀も荘厳なる厳粛な葬儀であり寺院方もたくさん集まり読経を行い、住職の葬儀が無事終了しました。密葬でありながらも、出棺時には沿道にたくさんの方々が見送りに来て頂き、亡くなられた住職、副住職をはじめ寺族の方々も大変感謝をしていると思います。たくさんの方々が見送りに来ていて、住職の生前の教化が、皆さん方に感謝されているものと思いました。これから当寺院の次世代の住職になられる副住職は、たくさんの苦労があるかと思いますが、檀徒のみなさんのお力を借りて、前住職のように立派な住職になられることと思います。我々もできる限り協力をしていきたいと思います。前住職は安心をして下さい。ご冥福をお祈り致します。・・・弘長寺住職

時宗のお経はきれいな音色です

今日、先般亡くなられた同じ宗派の住職のお通夜でした。新潟教区、當寺院住職と縁のある他県の住職が多数駆けつけ、お通夜のお経をあげました。夕方6時から始まり夕暮れの中、お通夜の経が10人以上の僧侶により唱えられました。中でも「初夜礼讃」というお経は、メロディーが奏でられる時宗独特のお経で、たくさんの僧侶が一緒に唱えると、檀徒からは、大変きれいな音色でしたと感動されました。そして檀徒からは「自分のお寺の住職が安心できる」と大変喜んでいました。そしてお通夜の最後に、副住職(住職の子息)から感謝のお言葉があり、その中で住職が倒れてから、その時間毎に「礼讃」というお経を唱えると「住職の脈と血圧が安定するのです」という言葉の中に感動を覚えました。私も僧歴が浅いながらも、時宗の「礼讃」というお経は感動を覚えるきれいなお経だと思っています。明日は当寺院住職の葬儀です。今まで住職から頂いた教訓を大事にし、ご冥福を祈り、僧侶たちが心を一つにして当寺院住職の葬儀を執り行いと思います。・・・弘長寺住職

Q 都会と南魚沼地域の納骨、お墓の文字の違いについて?

Q 都会と南魚沼地域の納骨、お墓の文字の違いについて?

A 1.納骨について
 都会では、火葬場での収骨はせとものの骨壺に入れて、桐箱に修めます。そしてお墓への納骨は、その骨壺をお墓に修めます。南魚沼地域の収骨は、桐箱の中に直接、お骨を修めます。ですから、せとものの骨壺はありません。そしてお墓への納骨は、お骨を直接お墓の中に入れます。ですから先祖のお骨と一緒になります。お墓の下は土になっていて、お骨が自然の土に返るものだということと、その家の先祖や家族が同じ一族であるということです。こちらでは嫁いできたお嫁さん(他人)のお骨もその家の先祖たちと一緒になってお墓の中に入ります(混ざります)。
 2.お墓の文字について
 都会のお墓の文字(洋墓の文字は除く)は、「・・家之墓」というのが多いです。南魚沼地域でのお墓の文字は「先祖代々之墓」という文字が多くみられます。これはこの地域では、長男がその家の家督を継ぎ、先祖を守っていくという風習が強いのです。よってそれを繁栄をし、「先祖代々之墓」という文字が多いのです。ですがもう少し在方へ入って行くと墓に「萬霊塔」という文字が多くみられます。これは、巻(苗字が同じ一族)や本家・新宅関係などのお骨を一緒にお墓に納骨する風習から来ています。「萬霊塔」とは、よろずの霊を一緒に修めるお墓という意味なのです。最近では、お墓は家単位で作るようになったので、「萬霊塔」はあまり使われず、「先祖代々之墓」や「・・家之墓」が多くなりました。ですがごく最近では、洋墓を建立する家もあらわれ、墓の文字は多種多用となってきました。