弘長寺に初雪が降りました

今日、里に初雪が降りました。昨年に比べると大分遅い初雪でした。それだけ温暖なのかも知れません。やっとスキー場関係者もうれしくなったと思いますが、そう長く雪マークは続かないみたいです。南魚沼市の週間天気予報を見ると、明日からは雪は降りやみ、くもりのマークが目立ち、雪のマークがありません。この雪も一旦消えるのかも知れません。この地域はスキー場がたくさんあり、県外からたくさんのお客さんが来て頂かないと活性しません。これからクリスマスや正月が来ますが、スキーができる雪が降るといいですね。・・・By おっさま
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12月18日 弘長寺の初雪です。

八海山が白くなりました

今日から12月です。ここ数日前からめっぽう寒くなりました。家々も雪囲いが始まり、周りを見ても冬の到来が近く感じられます。八海山も真っ白くなり、いつ里に雪が降るか心配です。ニュースで今年は暖冬ですと言っていますが、こちらの人たちは誰も暖冬とは思いません。昨年も暖冬と言ってもたくさんの雪が降り大変でした。暖冬と言っても地域に寄るので、雪が降って見ないと分かりませんね。ですがこちらの地域はスキー産業に携わっている方も多いので、雪が降らなくても困るんですね。ですから「ちょうどいい雪」が降って頂くのが一番です。このちょうどいい雪は、雪産業に携わっている方にもよく、そして一般家庭でも雪処理にあまり負担が掛からない降雪です。大変難しい雪の降り方ですね。・・・By おっさま
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八海山の山頂付近は白くなりました

12月は『もうれつでもない ゆとりでもない 魂の願いに引かれて生きる』です

12月の「こころのことば」は『もうれつでもない ゆとりでもない 魂の願いに引かれて生きる』(萩原清虚作)です。自分なりに解釈をすると “人は猛烈に頑張り結果を残す事、ゆとりを持ち何もしない事、などそれぞれの生き方があります。それは人それぞれの生き方は自分で判断をすればよいと思います。ですが自分の想いに気ままに生きていくこれもまた人生です。ここには人としての個を見つける事ができるかも知れませんね” というように思います。いいことばですね。・・・By おっさま

本山“一ツ火”へ行って来ました

11月27日~29日に、本山“一ツ火”へ弘長寺檀徒を連れて参拝に行って来ました。この“一ツ火”は正式には「歳末別時念仏会」と言います。これは、時宗独特な荘厳なる秘法行法であり、総本山遊行寺の最大行事です。この度は、「蓮光寺」住職と新潟県内の時宗寺院「蓮光寺(三条市)」「極楽寺(長岡市)」「教念寺(三島郡出雲崎町)」の寺院檀徒と4ケ寺で行って来ました。夜の行事で荘厳で檀徒の方々は一様に感動をしておりました。二日目は、関東の本山巡りを致し、「円覚寺(臨済宗円覚寺派大本山)」~「建長寺(臨済宗建長寺派大本山)」~「高徳院(浄土宗寺院・鎌倉大仏)」~「総持寺(曹洞宗大本山)」と周り、時宗の本山ばかりではなく、他宗の本山も参拝できて檀徒も喜んでいました。三日目は観光にあて、大洗海岸へ泊り、その夜は4ケ寺院で大宴会を行い互いの親睦を深め大変盛り上がりました。そして翌日、茨城県水戸市偕楽園~弘道館などを周って家路に着きました。今回の参拝旅行は、「1日目・時宗総本山参拝」~「2日目・他宗寺院大本山参拝」~「3日目・観光」と内容が充実した参拝旅行でした。行く先々感動の連続でした。住職、檀徒ともども“サイコー”の日程でした。・・・By おっさま

11月は『お金、力、頭 何も無くても心はある』です

11月の「こころのことば」は『お金、力、頭 何も無くても心はある』(萩原清虚作)です。自分なりに解釈をすると “世の中は、お金や力や知識は人それぞれです。ここに人それぞれの個性が生まれているのかも知れません。またこれは人によって平等ではない部分もあるかもしれません。ですが心は皆誰もが平等に持ち、この心を磨くことによって最高の人格が生まれるのです” というように思います。いいことばですね。・・・By おっさま

10月は『ありがとう 言っても聞いても うれしいね』です

10月の「こころのことば」は『ありがとう 言っても聞いても うれしいね』(萩原清虚作)です。自分なりに解釈をすると “人は誰もが「ありがとう」と言える事が大切です。そして誰もが「ありがとう」と言うことばがうれしいのです。これは宗教や信条を問わず誰もがうれしいことばですね。人に良くされたら素直に「ありがとう」と言える人になりましょう” というように思います。いいことばですね。・・・By おっさま

秋のお彼岸が始まります

今年の秋のお彼岸は、20日から26日の1週間です。そして中日が23日の秋分の日となります。お彼岸は、ご先祖様への感謝の気持ちを込めてご供養する仏教行事です。仏教では、こちらを煩悩に満ちた現実の世界で「此岸(しがん)」といい、それに対し苦しみのない悟りの世界を「彼岸(ひがん)」と言います。そして修行を得て、悟りの世界「彼岸」(向こう岸)に渡ろうというのが「彼岸」の教えです。お彼岸にはご先祖さまのご供養をするとともに、彼岸(向こう岸=悟りの世界)に渡る修行を通して自分自身を見つめ直すよい機会です。また、秋のお彼岸に食べるもちを「おはぎ」といいます。それは季節に咲く「萩(はぎ)」の花の形から来ています。ですから秋のもちは「萩(おはぎ)」と呼ばれるようになりました。(春に食されるもちは「ぼたもち」といいます。これは春に咲く牡丹(ぼたん)の花から来ています)「おはぎ」は、小豆(あずき)をまいた食べ物です。この秋の彼岸には、おはぎを食べて、ご先祖さまのご供養を行い、不摂生をしない規則正しい生活を過ごされたらいかがでしょうか。・・・By おっさま

照ノ富士 大関昇進披露祝賀会

昨日6日、弘長寺の檀家さんで伊勢ケ濱部屋の新潟県後援会長の方がおり、その縁で「照ノ富士大関昇進祝賀会」へ出席しました。会場はホテルニューオータニ鶴の間で行われ、北の湖理事長、横綱白鵬関、日馬富士関、鶴竜関など各界のそうそうたる方々が参列されていました。出席者は1,300人とか言われましたけど、すご~い人数でした。いつも相撲はテレビでしか拝見していなかったですが、実際関取をみるとすごい大きく感じられ、あの身体でぶつかられたら普通の人はひとたまりもありません。あの巨体同士でぶつかりあう相撲は、日本の国技としてだいご味のあるスポーツであると改めて感じられました。檀家さんのご縁で伊勢ケ濱部屋とご縁ができ、相撲に大変興味が湧いてきました。このご縁を大切にし、これからも益々の応援をしていきたいと思います。“今日のご縁に感謝”ですね。・・・By おっさま
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照ノ富士大関昇進披露祝賀会にて

Q)仏さまへお酒をあげてもいいですか?(檀家さんからの質問)

Q)昨日の法事で、檀家さんから仏さまへお酒をあげてもいいですか?という質問がありました。

A)仏さまは戒を受けて仏門に帰依した者として住職が戒名を授けます。“戒”とは5つの戒律を指し、1.不殺生戒(ふせっしょうかい)・・・生き物を殺してはならない、2.不偸盗戒(ふちゅうとうかい)・・・他人のものは盗んではならない、3.不妄語戒(ふもうごかい)・・・嘘をついてはならない、4.不邪淫戒(ふじゃいんかい)・・・みだらな邪淫をしてはならない、5.不飲酒戒(ふおんじゅかい)・・・酒を飲んではならない、という戒律です。この中で「不飲酒戒」の戒律すなわち、お酒を飲むと正気を失い堕落してしまうということからお酒はダメなのです。昔は、お酒を「般若湯(はんにゃとう)」[般若は、インドの言葉“パーニャ”の音写で“智慧(ちえ)”という意味]として、お酒ではなく智慧の付くお湯として、飲んだり、仏さまへあげたりしていました。現在、法要後のお斉(おとき)[会食]では、「生前、故人もお酒が大変好きだったので・・・」などと言ってお酒を出すのが一般的です。本来大切なことは、仏門の戒律は知って頂いた上で、食事の際には故人を思い出す事と故人への感謝が一番大切です。ですから、そのような思いを込めてお酒を頂いたり、仏さまへあげましょう。現在では、お酒(日本酒)ばかりではなく、ビールや焼酎、ワインなど多種あります。どのような場面でも「故人への思い出と感謝」を大切にして頂く、そして仏さまへもこのような思いを持ってあげて下さい。これが故人への最高の供養ではないでしょうか。・・・By おっさま

「お釈迦になる」って?

今日の法事のお斎(法要後の食事)の席で隣の方が曹洞宗の檀家さんの方でした。曹洞宗のご本尊がお釈迦様であり、時宗のご本尊が阿弥陀様であることから、二つのご本尊様の語句から「お釈迦になる」ということを説明しました。「お釈迦になる」とは、“物が壊れたりして使えなくなること”のたとえを表します。阿弥陀様は親指と人差し指(中指や薬指もあります)で印相をつくっています。ですがお釈迦様は阿弥陀様のように指で丸をつくった印相をしていません。昔、仏師が座っている阿弥陀様を作っている最中に、親指と人差し指の印相(親指と先と人差し指の先を結び、丸の形をつくる)の人差し指をうっかり切り落としてしまいました。その形はちょうどお釈迦様の手の形になってしまい、その失敗作から「お釈迦になる」=「ものが壊れて使えなくなる」といい表されるようになりました。座っている阿弥陀様の像は、「鎌倉の大仏」を見て下さい。座って左右の手を合わせ、両方の手で親指と人差し指の先を結んで、丸を作っています。・・・By おっさま