坂戸山の山開き

今日から7月に入りました。もう今年も半分が過ぎ去り残りあと半分となりました。月日が経つのは早いですね。今日は、坂戸山の山開きです。昨日の夜は登山をされる方がたくさんいて、坂戸山の尾根伝いに光の線ができ、大変きれいでした。昨日は坂戸山を御守りしている「寶珠院」の御住職や信徒一行が登山をされ、山のほこらで一泊され坂戸山の開山祈祷を行いました。今年も事故が無く坂戸山の登山ができますように祈っています。PS.坂戸山の高さは、スカイツリータワーと同じ634mです。・・・By おっさま

7月は「じっくり待てば 芽が出てくる」です

7月の「こころのことば」は、「じっくり待てば 芽が出てくる」(萩原清虚作)です。自分なりに解釈をすると“人は生きているがゆえに、楽しいことばかりではなく、辛いことや悲しいことに出くわします。そして自分は何でこんなに苦しいのだろうと思う方もおられます。ですが人生は辛い事ばかりではなく、いつかは必ずその事が報われる時が来ると思います。人は今がどうであるのではなく、この世の終焉を迎えた時に、私の人生は良かったと思う事が大事なのです。”というように思います。いいことばですね。・・・By おっさま

Q お数珠(じゅず)はどのように持つのですか?

Q)お数珠はどのように持つのですか?

A)先般、ある地区のふれあいサロンでの法話の後、「お数珠はどのように持つのですか?」という質問がありました。まずお数珠の珠の数ですが、煩悩の数を表し108個であります。ですが各宗派によるお数珠の輪の大きさにより、54個(煩悩が1珠2つ)、36個(煩悩が1珠3つ)、27個(煩悩が1珠4つ)と108で割り切れる数がよろしいと思います。(煩悩を消してくれる数)お数珠の持ち方は、宗派によって違いがありますが、必ず左手に掛かっています。多々説がありますが、仏教では合掌(手を合わせる)時、左手はインドでは不浄の世界、すなわち私たちの世界を指します。右手は仏様の清浄な世界を指しています。そして私たちの世界と清浄な仏様の世界が手を合わせることにより、一つとなって仏様への感謝の気持ちを表します。そして左手に数珠を掛けることにより、自分の煩悩を消して仏様へ向かうのです。よって必ず数珠は左手に掛かっているのです。ですから宗派によっては左手だけ又は左手と右手の両方に掛かっている場合もありますが、絶対に右手だけに持つことはありません。また説によっては、真逆で左手が清浄な世界すなわち仏様の世界で、右手が私たちの世界であり、清浄な手である左手に数珠を持つという説もあります。弘長寺では前説を基本とし、また数珠の持ち方は左手の親指と人差し指の間に掛かり(左手だけ)に持ちます。詳しい数珠の意味と掛け方は、「弘長寺便利帳(赤本)平成23年3月二版」の110ページに載せてあります。

ふれあいサロンで法話をしました

今日、六日町のある地区で法話を致しました。この地区は、おばあちゃん達が“ふれあいサロン”というコミュニティーを作って定期的に催しをしています。今回、弘長寺の住職として法話の依頼がありお受け致しました。昨年にも1回依頼があり、今回で2回目でした。当日は地区の集会所で行い、おばあちゃん達が20人ほど集まって和気あいあいの“ふれあい法話”を行いました。私は、お寺に入ってまだ7年ほどであり、まだまだ仏教についてのむずかしいお話はできません。私が在家(一般人)として長年過ごして来たこととお寺に入って勉強をしたことを合わせ、おばあちゃん達と同じ感覚の目線で、「幸せになって生き抜く大切さ」を約1時間お話をしました。足のわるいおばあちゃん達ですので足は自由に伸ばして、お茶を飲みながら気軽にお話をさせて頂き、笑いの絶えない“法話”でした。あるおばあちゃんからは、この法話を楽しみにしていてこれからの生きる糧ができましたと言われ、自分でも少しは役にたったのかなあと感じました。これからもおばあちゃん達は、寿命が尽きるまで幸せになって過ごしてください。・・・By おっさま

今日の法事

今日、檀家さんの七回忌の法事が自宅でありました。亡くなった方は弘長寺開山以来、男性で初の行年100歳の方でありました。おばあちゃんも元気で今年で95歳を迎えたそうです。弘長寺では100歳以上の方は女性では数名いるのですが、男性ではこの家の方だけしかいません。この日は遠方に居られる子供たちも集まり(子供たちと言ってもおじいさんになっている)家族だけで心のこもった法事でありました。法事の後、施主(長男)がたくさん料理を頼んで頂いて、みんなでお斎(法事の後の会食)を頂きました。おばあちゃんや皆さんといろいろな話ができ、大変有意義なお斎でありました。お斎のよいところは、普段会えなくお話もできない方々が集まり、いろいろな思いで話ができるところがいいですね。みんな家族が和気合い合いと楽しんでいる姿を見て、浄土におられる、おじいちゃんも喜んでおられることでしょう・・・By おっさま

今日は廣田家の法事でした

今日は、私(住職)の父の十七回忌、母の十三回忌の法要でした。私の家は在家ですので一般の皆さんと同じような法事でした。父の兄弟と母の兄弟と妹夫婦へご案内をさせて頂き、自宅にて法要を営みました。自宅での法要の後、廣田家のお墓参りをしてお斉会場へと行きました。法事と言うのは「三と七」の回忌に行います。それは10年に二度、5年に一度のことであります。5年に一度は形にとらわれず父母を思い出す為にも法事が必要と思います。いつもは父母の兄弟が遠方であるので、妹夫婦と営んでいましたが、今回は久しぶりに父母の兄弟も快く来て頂きました。そしてお斉の時に、普段親戚同士がが離れていて、あまり話す機会がなかったのですが、この度久しぶりに会う事ができ、いろいろな話に花が咲き有意義な会食でした。これも父母のおかげで縁ができ親戚付き合いができるのも父母へ感謝をしています。これからも親戚を大切にして廣田家一族が団結できればよいと思います。みなさんも現在このように暮らしていられるのも親や先祖のおかげです。親や先祖を大切にしましょう。・・・By おっさま

昨日の葬儀

昨日、真言宗の檀家のお墓をお守りしている家の葬儀がありました。その方は直接の檀家ではないのですが、先祖代々と弘長寺の境内にお墓があり、ずっとお墓をお守りしています。弘長寺では“墓檀家”としての位置づけです。この度亡くなった方は、106歳のおじいさんでした。この地域でも1,2の長生きのお方ではないでしょうか。菩提寺のご住職に伺ったところ、自分の檀家では一番のご長命であったとのことです。その方の家の葬儀に、弘長寺にも葬儀に随喜寺院としての出席のご依頼がありました。葬儀は真言宗の葬儀式で執り行われ真言宗の作法を勉強させて頂きました。宗派が違えども亡くなった方を浄土に送る気持ちは同じです。心のこもった素晴らしいお葬式でした。この度亡くなられた106歳のおじいさんは、亡くなる最後までしっかりしていて、家族にお世話をかけなかった方だそうです。すばらしいおじいさんでした。ご冥福をお祈り致します。・・・By おっさま

Q 1日の内に、祝い事と葬儀を呼ばれたのですが書付は?

Q)寺院より、寺院で午前中に晋山式(住職を迎え入れる式)と午後から前住職の葬儀のご案内が来たのですが、書付と服装はどのようにしたらよいですか?(その寺院の親戚者よりの質問)

A)まずご案内がどのように書いてあるか確認をして下さい。晋山式(住職を迎え入れる式)は慶事であり、葬儀は弔事であります。必ず午前・午後に分けて法要をするはずです。晋山式はお祝い事であり、葬儀は悲しみ事であり正反対の儀式です。ですから金封は、一緒にするのは常識からはずれています。晋山式は慶事ですので「赤白」の水引に、書付は「御祝い」など、葬儀は弔事ですので「黒白」の水引に、書付は「御香典」などが一般的です。服装は午前の晋山式にはお祝いの服装(男性なら礼服に白ネクタイ)、午後の葬儀には喪服(男性なら礼服に黒ネクタイ)が妥当でしょう。同じ所で午前と午後の法要に呼ばれたからと言って、金封を一緒にしないのが常識です。意味を考えたらわかることでしょう。二通に分けて書付をし、それぞれの式の前に適応をした書付を施主へ差し出しましょう。

Q 通夜(つや)と逮夜(たいや)の違いについて

通夜(つや)と逮夜(たいや)は、葬儀の前夜に行うものであります。法要を営む場合には、通夜法要(つやほうよう)や逮夜法要(たいやほうよう)と言います。六日町では、街中では“通夜法要”を営み、在方では“逮夜法要”と言って営む場合が多いです。「通夜は、遺体の側で夜通し終夜守っていることを言い」、弘長寺では、六時禮讃(ろくじらいさん)と言うお経があり、夜中8時位から初夜禮讃(しょやらいさん)というお経から始まり終夜法要を行うのが正式としています。ですが弘長寺では現在、夕方5時~6時位に通夜法要を行うのが一般的になっており、この半通夜をもって通夜法要としています。「逮夜は、翌日に及ぶ夜の意を言います」よって翌日の葬儀まで及ぶという意味をもちます。また別名、日没法要(にちもつほうよう)ともいい、弘長寺では夕刻4時位から日没禮讃(にちもつらいさん)というお経で法要を行うのが正式としています。現在六日町では宗派を問わず、どちらも葬儀の前夜に行われ、土地柄や場所によって呼び名が違えども同等な意味で営んでいる場合が多いです。ですがどちらも弔事法要であり、そして翌日に及ぶ法要なので弔意を背負って、葬儀に備えるのが一般常識であります。よって通夜(つや)や逮夜(たいや)を営むと弔意を背負うので、葬儀が終わらない前に慶事(祝い事)を行う事は決して致しません。またそれは通夜や逮夜の後、葬儀が終わらない前に慶事(祝い事)を行う事は仏法からもはずれています。

6月は「雨にも感謝 風にも感謝」

6月の「こころのことば」は、「雨にも感謝 風にも感謝」(萩原清虚作)です。自分なりに解釈をすると“雨が降り、風が吹く事によって自然がまかなっています。その自然の恵みを受けているのが私たちです。雨にも感謝、風にも感謝です。人生においても、雨や風といった苦難を乗り越えることによって、人は一つずつ成長をしていきます。この苦難があるからこそ、人は徳を得るのです”というように思います。いいことばですね。・・・By おっさま

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