弘長寺

お盆に「キュウリ」と「ナス」をお供えするのは?

お盆によく「キュウリ」と「ナス」に楊枝などをさして動物に見立てる風習があります。この「キュウリ」は馬を見立て、「ナス」は牛を見立てています。ご先祖様が、足の速いキュウリの馬に乗って、早く自宅へ帰って来て頂き、ナスの牛に乗って、ゆっくりあの世へ戻って頂くように、という願いを込めてお供えします。それは、ご先祖様と少しでも長く一緒にいたいという願いかも知れません。また、地域によっては馬にご先祖様が乗って、牛に荷物を乗せて帰って来るとも言われています。・・・By おっさま

新盆とは?

人が亡くなって四十九日忌が過ぎて初めて迎えるお盆を「新盆」(にいぼん・あらぼん)または「初盆」(はつぼん)といいます。この時は、特に手厚くご供養をする風習があります。この新盆は人が亡くなって四十九日忌が過ぎないと新盆ではありません。ですから、6月25日までに亡くなった人(8月12日が四十九日忌)は、この8月13日からの新盆になりますが、6月26日以降に亡くなった人は来年のお盆が新盆となります。宗派によって考え方は違いますが、亡くなった人は四十九日忌供養で浄土へ旅立ち(御霊前から御佛前へ変わる)、お盆で自宅へ“初泊まり”に帰って来るんです。ですから、お盆が始まる前に浄土へ旅経っているのです。・・・By おっさま

お盆の時期は?

昔は、目連(もくれん)のお話にちなんで、7月15日にお盆供養を行っていましたが、明治時代になって新しい暦が使われるようになってからは、「月おくれ盆」と言って8月13日から16日供養することが多くなりました。また地方では、7月15日は農繁期が一番忙しい時期に重なってしまうので、ひと月遅らせてゆっくり供養ができるようにしたものです。都会(関東地方など)では、7月13日から16日までの「七月盆」を行い、地方では、8月13日から16日までの「八月盆」を行います。本来お盆は8月13日から16日までの四日間ですが、弘長寺では代々、8月13日を盆入りとし、8月16日と17日を盆送りとして、五日間がお盆時期としています。各人の都合により、16日または17日を盆送りとしている風習があります。・・・By おっさま

八月はお盆の月です、お盆の意味は?

お盆は、ご先祖様の御霊をあの世からお迎えしてご供養する昔からの習わしです。正しくは「盂蘭盆(うらぼん)」といって、逆さ吊りを意味するインドのことば「ウランバナ」を漢字にしたものです。それは昔、お釈迦様の十大弟子の「目連(もくれん)」尊者という方がおりました。ある時、目連尊者が神通力で亡くなったお母さんが、地獄で逆さ吊りにされ苦しむ姿を見て、どうしたらお母さんを助けられるかとお釈迦様へ相談をされました。お釈迦様は「夏の修行が終わる7月15日に、お坊さんたちに供物を捧げ施しなさい」と言われました。このお釈迦様の教えに従って、お坊さんへ供物を施したおかげで、目連尊者のお母さんは救われたという説から、“お盆”が始まったとされます。・・・By おっさま

1日は“ぼんぼちついたち”です。その意味は?

この地域(特に在方)では、八月一日を“ぼんぼちついたち”と言って、菩提寺へお米や野菜などを持って行く風習があります。私は在家(一般の生まれ)の生まれで、在方(俗に言う中心ではなく地方)から六日町中心街の寺院へ入りました。ですから親戚や知人は在方へ数多くいます。それらの方々から「ぼんぼちついたちにお寺に行くんですが、どのような書き付けをしたらいいのか」と僧侶である私へ個人的に聞かれます(昔からの一般人の知り合い)。まず、“ぼんぼち”とはこの地域の訛りことばで、「盆」と「扶持」(ふち又はぶち)が合わさったことばで「盆扶持」となりました。その読み方の「ぼんぶち」が「ぼんぼち」と、この地域で訛ったことばとなりました。そして、八月一日に行う風習から「盆扶持一日」の読み方が訛って「ぼんぼちついたち」になりました。この意味は、お寺さんはお盆月(8月)に入ると忙しくなるので、8月に入った最初の日に、お米や野菜などを持って行って、お寺を助けるという風習になりました。(扶持とは・・・助けること。扶助すること。)現在では時代の流れとともに、お米や野菜などから金品になって来ました。金品を持って行くことも、そのお寺を助けること(扶持)になりますので、金品封筒の書き付けは「盆扶持」と書いてその下に「氏名」を書いてお寺へ持って行ったらよいでしょう。・・・By おっさま

どうして亡くなった歳を「数え歳」で表すのか

 この地域では、亡くなった方の歳は満年齢ではなく「数え歳」で表します。「数え歳」とは、生まれた時が1歳で、正月(1月1日)を迎える毎に1つずつ加える、日本古来から伝わる年齢の数え方です。お母さんのお腹の中に生が宿る(生まれる十ヶ月前)期間を1歳と数え、生まれた時には、すでに1歳となっているのです。それは「命」というものを、とても大切にしている考え方なのです。そして、お正月には、年神様(としがみさま)から皆が1つ歳を頂きます。それは、皆の誕生日のようなものですから、1月1日に「おめでとう」と挨拶をします(1月1日は、1つ歳をとる誕生日だから「おめでとう」と挨拶する)。よくこの地域では、「12月31日の晩に“歳取り魚”を食べる。」とか「1月1日(正月)になると“1っぽ歳を取った”」などと年配の方は言います。それが、この年神様から1つ歳を頂いた表れです。ですから、弘長寺では亡くなった人に「行年〇〇歳」(〇〇歳は数え歳)と授ける時、“1月1日(正月)誕生日と見なし、年神様から歳を1歳頂く”考え方で、亡くなった日までに、誕生日迎えている方は、「満年齢+1歳」となり、「亡くなった日までに、誕生日迎えていない方は、「満年齢+2歳」としています。(お母さんのお腹で生を授かった歳と毎年1月1日に歳を頂いた考え方です)・・・By おっさま

亡くなった歳、「享年」と「行年」の違い

亡くなった人の歳に「享年〇〇歳」や「行年〇〇歳」と使われます。どうして「享年」とか「行年」とか違うのか。「享年」とは、“天から享(う)けた年数。何年生きたか。”という意味で、「行年」とは、“この世に生まれて修行した年数。この世を生き抜いた年数。何歳まで生きたか。”という意味です。どちらを使うかは、宗派、代々の寺院の付け方、寺院の住職の考え方などで違います。弘長寺では、代々と「行年〇〇歳」と付けます。この世を生きることは、苦がありそれは修行であります。この現世を一生懸命生き抜いたという意味を込めて「行年」を使っています。・・・By おっさま

亡くなったこと、「成仏」と「往生」の違い

亡くなった事を「成仏」とか「往生」と言います。その違いについて。「成仏」とは、煩悩がなくなって悟りを開いた状態をいいます。それは、この世において修行を積み、この世に未練もなく亡くなって自分が仏になることを言います。ですから「成仏」は“仏に成る”と書きます。「往生」とは、この世から仏の浄土に生まれる変わることを言います。浄土の世界には阿弥陀佛様がおられ、極楽浄土に往(い)って阿弥陀佛様のお元で生まれ変わるのです。ですから「往生」は、“生まれ変わって往く”と書きます。弘長寺では、「往生」を使います。人はいつか必ず阿弥陀佛様のお元に往きます。そして、人は亡くなったのではなく、その人の思い出は縁のある方々の心の中にずっと生き続けているはずです。それは、ある意味亡くなったのではなく、ひとまず先に“生まれ変わって往ったんだ”という考え方です。そしていつかまた浄土の世界で会うことができるのです。それは“供会一処(くえいっしょ)”[阿弥陀経の一部]なのです。・・・By おっさま

Q)お寺の後継ぎについて

Q)お寺の後継ぎについて

A)お寺の後継ぎは、世襲ではありません。弘長寺では36世・小林住職、37世・藤井住職、38世・現住職とすべて血縁関係はありません。本来は住職は世襲ではないので、一般的に住職一家は庫裡[お寺の住まい]に住んでいますが、これはお寺を管理している上で借りて住んでいるので、住職個人のものではありません。ですから弘長寺では、先々代の小林住職が遷化[亡くなったこと]の後は、小林住職の奥さんや子供は庫裡から出て、先代の藤井住職がお寺に入りました。また藤井住職が遷化した後は、奥さんや子供は庫裡から出て、現住職がお寺の庫裡に入りました。住職は出家をしたので庫裡に永代に住むことができますが、奥さんや子供は住職の“お手伝いさん”ですので、出て行かなければなりません。よく子供が後を継いで住職になって、世襲のように映って見えますが、これは親子であっても仏門では師匠と弟子の関係であり他人なのです。先代の住職が亡くなってその奥さんが庫裡に居られるのは、子供である新しい住職の“お手伝いさん”の名目で、新住職(子供)の許可のもと居られるのです。住職の子供がお寺で生まれ、その後その子供が住職になると庫裡が自分の家のように映りがちですが、本来は“他人から借りているもの”という感覚が必要です。またこれからは住職に妻や子供がいても、住職が遷化又は還俗[一般人に戻る]した後を考え、妻や子供が庫裡から出て行っても暮らしていける住まいを用意しておくことが、必要になってくると思います。・・・By おっさま

Q)仏さまへお酒をあげてもいいですか?(檀家さんからの質問)

Q)昨日の法事で、檀家さんから仏さまへお酒をあげてもいいですか?という質問がありました。

A)仏さまは戒を受けて仏門に帰依した者として住職が戒名を授けます。“戒”とは5つの戒律を指し、1.不殺生戒(ふせっしょうかい)・・・生き物を殺してはならない、2.不偸盗戒(ふちゅうとうかい)・・・他人のものは盗んではならない、3.不妄語戒(ふもうごかい)・・・嘘をついてはならない、4.不邪淫戒(ふじゃいんかい)・・・みだらな邪淫をしてはならない、5.不飲酒戒(ふおんじゅかい)・・・酒を飲んではならない、という戒律です。この中で「不飲酒戒」の戒律すなわち、お酒を飲むと正気を失い堕落してしまうということからお酒はダメなのです。昔は、お酒を「般若湯(はんにゃとう)」[般若は、インドの言葉“パーニャ”の音写で“智慧(ちえ)”という意味]として、お酒ではなく智慧の付くお湯として、飲んだり、仏さまへあげたりしていました。現在、法要後のお斉(おとき)[会食]では、「生前、故人もお酒が大変好きだったので・・・」などと言ってお酒を出すのが一般的です。本来大切なことは、仏門の戒律は知って頂いた上で、食事の際には故人を思い出す事と故人への感謝が一番大切です。ですから、そのような思いを込めてお酒を頂いたり、仏さまへあげましょう。現在では、お酒(日本酒)ばかりではなく、ビールや焼酎、ワインなど多種あります。どのような場面でも「故人への思い出と感謝」を大切にして頂く、そして仏さまへもこのような思いを持ってあげて下さい。これが故人への最高の供養ではないでしょうか。・・・By おっさま