弘長寺

Q) お墓参りについて(檀家さんからの質問)

Q) お墓参りについて

A) お墓参りは、こちらでも地区によって13日の夜に行く地区もあれば、14日の朝に行く地区もあります。ここでは弘長寺でのお墓参りについて説明します。13日の夕方に迎え火を焚きます。迎え火というのは、戻ってくる先祖の霊が迷わないように、目印として火を焚くお盆の風習です。そしてその火を提灯に灯し、お墓参りに出かけます。そしてその火で、お墓のろうそくを灯し線香をあげてお参りをします。弘長寺の境内にも檀家さんのお墓がたくさんあり、昔は子供が提灯を持ち家族がそろってお墓参りをしました。夕食を済ませお墓参りをしたので、ピークは午後7時くらいから9時にかけてであり、夜暗く提灯の明かりがきれいでした。ですがここ数年前から、夕食の前にお墓参りを済ませ、その後皆でゆっくりと夕食をとる家族が多くなり、弘長寺ではピークが午後5時くらいから7時にかけてと早まって来ました。その時間帯はまだ明るく、提灯を持っている人もほとんどいなくなりました。時代の流れと共に様々な風習が変わって来ましたね。・・・By おっさま

Q) 新盆はいつですか?(檀家さんからの質問)

Q) 新盆はいつですか?

A) 新盆は地区によって「にいぼん」や「あらぼん」といいます。または場所によっては、初盆「はつぼん」というところもあります。これは人が亡くなって四十九日(49日忌)が過ぎて、初めて迎えるお盆のことをいいます。いうならば、浄土へ向かわれた仏様の“初泊り”と解釈されたらいかがでしょうか。亡くなった精霊は49日間家に戻り、お坊さんから(初七日、二七日忌・・・)と供養をして頂き、四十九日忌法要をもって浄土へ旅立たれます。そして浄土へ行って、初めて元の自宅への初泊りが新盆ないし初盆であります。この時は特に手厚くご供養をし、寺院へお参りをして、ご本尊様へ亡くなった人の事をお願いします。ですから、亡くなった日付がお盆前であっても、四十九日忌がお盆後に迎える場合は、翌年のお盆が新盆となります。四十九日忌が終わって初めての盆が新盆です。・・・By おっさま

Q) お盆はいつですか?(檀家さんからの質問)

Q) お盆はいつですか?

A) お盆は、目連(もくれん)のお話[昨日のブログ]にちなんで、7月13日~16日に行います。ですが明治時代になって、新しい暦が使われるようになってからは「月おくれ盆」といって、8月13日~16日に行われる地域もあります。また、7月は農家の一番忙しい時期に重なってしまうので、ひと月遅らせることで、ゆっくりとお盆が過ごせるようになりました。関東地方では、7月13日~16日の「七月盆」が一般的であり、こちらの地方では、8月13日~16日の「八月盆」が普通で、8月13日を“盆の入り”で、8月16日を“盆送り”としています。ですが弘長寺では、8月16日ないし17日を盆送りとしています。(8月17日に“盆送り”として、お寺に来る方の方が多いです)[これは、弘長寺独特の風習です]・・・By おっさま

Q) なぜ、“お盆”をするの?(檀家さんからの質問)

Q) いよいよお盆が来ますね。なぜ、お盆をするの?

A) “お盆”っていうのは、ご先祖さまの御霊をあの世からお迎えしてご供養する昔からの習わしのことです。“お盆”は、「盂蘭盆」(うらぼん)といって、逆さ吊りを意味するインドの言葉「ウランバナ」を漢字に置き替えたものです。意味は、お釈迦さまの弟子の中で一番神通力を持つ「目連(もくれん)」というお方がいました。ある時、目連が神通力で亡くなった自分のお母さんを見たら、地獄で逆さ吊りにされ、苦しんでいました。そこでお釈迦さまに、どうしたらお母さんを救うことができるか尋ねました。お釈迦さまは、「夏の修行(7月)の間に、お坊さんたちに供物を捧げなさい」と言われました。このお釈迦さまの教えに従って、お坊さんに供物を施したおかげで、目連のお母さんは救われたという説から、お盆の行事が始まったとされます。こちらの地区では、お盆は8月13日から始まり16日が盆送りとなっています(弘長寺では17日も盆送りとしています)。関東地方より一月遅れになっています。・・・By おっさま

Q)“ぼんぼち”の書付は?(檀家さんからの質問)

Q)“ぼんぼち”の書付は?

A)檀家さんから、明日は“ぼんぼちついたち”ですが、“ぼんぼち”の書付について相談がありました。まず、この“ぼんぼち”ですが、正式には「盆扶持」=「ぼんふち」と言います。意味はお盆に忙しいお寺を助ける、扶助する意味です。これが、こちらの地区でなまって“ぼんぼち”になりました。ですから檀家さんは字で書くと、どのような字で書くのかわからない方が多いです。よく「盆礼」と書付をする方が多いですが、正式には「盆扶持」と書付をし、下に氏名を書くのがよいでしょう。水引の色は、この地区では「赤・白」でよいでしょう。また「黄・白」(この地区では黄・白の水引を使う風習がある)でもよいです。お寺は、「黒・白」の水引ばかりではなく、目的により「赤・白」や「黄・白」もあります。・・・By おっさま

Q)お墓の開眼について

Q)お墓の開眼について

A)檀家さんから、「お墓を建立した後、お寺さんからお経を読んでもらったら、どのような書付と水引の色はどのようにしたらよいか?」という質問を受けました。書付は「開眼料」でよいです。開眼とは“そのものに魂を入れる”意味です。お墓の建立は、先祖が新しく安置される場所の新築なのです。ですから本来は祝い事なのです。よって新築と同じ考えで「赤・白」の水引がよいのです。よく、墓碑が新しく建立され、除幕式を致します。これは祝い事と同じ方法をとります。ですが、家族の方が亡くなり、新しく墓を建立し満中陰忌(四十九日忌)や壱周忌(喪中)と一緒にお墓の開眼を行い、納骨をされる方は、「赤・白」の水引には抵抗があります。本来は、納骨の前にお墓の「開眼」を行い(赤・白の水引)、満中陰忌や壱周忌の時には開眼は終わっているので、「黒・白」の水引を使用すれば解決します。ですが現在、法要、お墓の開眼、納骨を一度に終わらせるのが一般的になっておりますので、法要のお布施は「黒・白」の水引、お墓の開眼は、「赤・白」の水引をとったり、水引がない封筒を使用したらいかがでしょうか。・・・By おっさま

Q)塔婆について

Q)塔婆について

A)檀家さんから、墓の建立について相談がありました。その中で塔婆建てについて弘長寺住職の解釈として紹介します。塔婆とは、本来インドの言葉(サンスクリット語)で“ストーパ”からきています。このストーパとは、五輪塔の意味でお釈迦様の舎利(お骨)をおさめた塔のことです。それが日本に渡り、“ストーパ”が音写として“卒塔婆(そとうば)”となりました。それが現在、“卒”がとれて塔婆(とうば)となっています。そして日本古来の土葬風習から、墓碑の代わりにお釈迦様と同じように“五輪塔”=“ストーパ”=“卒塔婆”を建てる風習となってきました。ですから塔婆の上部の刻みは、五輪塔の影と同じように刻んでおり、また下部は土葬風習のなごりで土に挿されるように尖っているのです。現在のお墓は下が石やコンクリートでできており、塔婆が挿されず転んでしまうので塔婆建てを作るようになりました。よく塔婆をお墓の後ろに挿したお墓がありますが、五輪塔が墓碑の影に隠れて見えません。そして塔婆を寝かせて置く方がいますが、それは自分の家の“五輪塔”が倒れている事を意味しています。本来の塔婆は、見えるところに建てることが本当の姿ではないでしょうか。現在の塔婆風習は、法要が行った証しとして住職から書いて頂き、また法要の後に置く場所がないとか、邪魔になるなどの理由から墓の後ろへ追いやられているような気がします。また関東地区では、一家族が1本ずつ塔婆を建て、5~6本の塔婆が建つこともめずらしくありません。そして塔婆を建てる場所がなく、とりあえず墓の後ろに挿すようになったのでしょうか。こちらでは施主が1本建てるのが一般的ですので、関東地区のように後に建てるのではなく、本来の「五輪塔」の意味を大切にし、見えるところに建てる事を奨励します。・・・By おっさま
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向かって左側に挿してあるのが塔婆です。(何も書いていません)このように、「塔婆=五輪塔」のように見えるところに塔婆を建てることを奨励します。(弘長寺住職)

Q)納骨について

Q)納骨について

A)先般、本堂にて満中陰忌(四十九日忌)法要の後、境内の墓地に納骨がありました。お墓に納骨をする際に関東地方から出席されていた方が不思議に思われていました。「納骨の際にお墓を開けてくれる業者さんはいないんですか?」と。それは関東地方とこちらのお骨の埋葬の仕方が全然違います。関東地方では、火葬後お骨をせとものの骨壷に入れて、そして霧箱におさめます。納骨の際には骨壺だけを取りだしてお墓に納めます。その際、業者さん又はお墓の管理者がお墓を開け、そして骨壷を納めた後にお墓を閉めます。業者さんを依頼すれば費用も支払わなければなりません。こちらでは、火葬後お骨を直接霧箱の中に入れます。そして納骨の際には霧箱の中のお骨を直接お墓の中におさめます。こちらのお墓の中の下は土になっていて、土の上におさめたお骨は自然と土に返っていきます。これは昔からの土葬を継承し、我々は亡くなったら自然に返るのを願っている埋葬の仕方です。現在、都会で行われつつ、散骨や樹木葬などといった自然に返す方法は、こちらでは以前から普通に行われています。そして自分の家のお墓は、家族や親族が一緒になって蓋を開け、お骨をおさめます。そして自分の家のお墓の蓋を閉めるときも、みんなで一緒になって閉めます。ですから業者へ支払う費用は発生しません。これがこちらの納骨の仕方です。昔から人は亡くなったら自然に返ることを大事としている地区であります。・・・By おっさま

Q)「ぼたもち」と「おはぎ」の違いは?

Q)「ぼたもち」と「おはぎ」の違いは?

A)「ぼたもち」と「おはぎ」はどちらもお彼岸に食べるものです。この呼び名の由来は季節に咲く「牡丹(ぼたん)」と「萩(はぎ)」の花の形から来ています。春は「牡丹餅(ぼたんもち)」、秋は「萩(おはぎ)」と呼ばれるようになりました。どちらも名前は違いますが同じ、小豆(あずき)をまいた食べ物です。古来より小豆の赤色は邪気(じゃき)を払うとされ、また農家の方々が節目のお祭りの時に五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願い、収穫を祝って神さまに捧げるものが仏教行事と結びついたみたいです。そしていつしか、お彼岸に食べる餅を、春には“ぼたもち”、秋には“おはぎ”というようになったみたいです。

Q)お彼岸って、いつするの?

Q)お彼岸って、いつするんですか?

A)お彼岸は年2回、春は3月の「春分の日」。秋は9月の「秋分の日」を中心に前後3日間を合わせた1週間です。初日を「彼岸入り」、真ん中の春分・秋分の日を「中日(ちゅうにち)」、最終日(1週間目)を「彼岸明け」といいます。今年は9月20日が「彼岸入り」、9月23日(秋分の日)が「中日」、9月26日が「彼岸明け」となります。