弘長寺

東京は“お墓”が高くてビックリ!

昨日、ある番組でお墓の事を放映していました。東京練馬区の霊園で、お墓の区画使用料が1.2㎡で220万円~260万円、1.8㎡で394万円、墓地管理料が年間3万5千円だそうです。すご~く高いですね。ビックリしました。弘長寺境内の墓地で、お墓の永代使用料が3.3㎡(1坪)で20万円~30万円(1坪より大きい)です。年間の維持管理費として6千円です。それと比べるとすごいと思うばかりです。弘長寺の場所は、ホームページのアクセス欄でも確認できますが、東京駅から汽車で2時間足らず、自動車でも関越自動車道練馬ICから六日町IC~寺院まで2時間半足らずで到着する場所です。お墓本体の値段も墓の材質にもよりますが、東京では1.2㎡規模で260万円くらい、こちらでは3.3㎡規模で120万円くらいが一般的です(業者の一般価格)。お墓の大きさが倍以上でも値段は半額以下です。やはり東京はお墓に関しては、こちらと比べ永代土地使用料で10倍、年間管理費で6倍、業者依頼のお墓で2倍も高いんですね。東京では1.2㎡のお墓を建てるのに約500万円、こちらでは3.3㎡(東京の約2.8倍)で約150万円、その他年間管理料が東京では3万5千円、こちらでは6千円。この違いに本当にビックリの連続です。・・・By おっさま

昨日、仏前結婚式に出ました

昨日、新潟県三条市の同宗派住職の結婚式に出ました。本堂にて仏前結婚式で執り行い、私は役配を承り結婚式、披露宴と出ました。前日より泊まり各方面から式典出席住職や新郎同期住職が全国から集まり、本堂でリハーサルを行いました。そして当日の結婚式、仏前結婚式は初めてでしたが、荘厳な本堂にて白無垢の新婦が美しく、新郎家、新婦家が一同に介し、二人の“誓いの言葉”を述べられ、すばらしい式典でした。(指輪の交換もしますよ)私の結婚式は22年前(当時まだ在家(一般人)であり)東京の神田明神にて神前結婚式で執り行いました。ですが昨日の仏前結婚式に出たら、その荘厳なる式典に感動をしました。初めて仏前結婚式に出席された方も多く、一同に感動をしていました。お寺は葬式や法事など忌事ばかりではなく、祝い事も行います。それは各家のご先祖様の前で新しい方を迎え、そして新しく嫁ぐ報告を兼ねた式典です。私も昨日の仏前結婚式に出てこのすばらしい感動を皆さんへお勧めしたいですね。その後に会場を移し披露宴になりました。新郎新婦は洋装で今時の楽しい披露宴でした。結婚式は荘厳な場所で先祖へ門出を報告し、披露宴はうれし涙を誘う感動の場でした。仏前結婚式のすばらしさに感動しました。・・・By おっさま

山に雪が降りました

今日はあいにく朝からずっと雨です。朝も大分寒く、冬物のジャンバーを着て犬の散歩をしました。山に霧がかかっていてその隙間から山を見ましたら、雪が積もっていました。山は弘長寺の山号にもなっている“金城山”です。いよいよ本格的に冬の到来かと思いました。先般、お参りをした檀家さんは日記を付けている方で、「昨年は11月11日に里に雪が降ったんですよ」と言われました。昨年の事で忘れていたのですが、昨年は今頃、あたり一面真っ白くなっていたんですね。今、まわりを見ても雪囲いが始まり、また冬が来て雪が降るのかなあと思います。今年はちょうどいい雪で、あまり大雪にならないように祈るだけです。・・・By おっさま

昨日、修行仲間の結婚式に出ました

昨日、私が本山で修行した同期、“同じ釜の飯を食った仲間”の結婚式披露宴に出席しました。静岡県の仲間で前日に静岡県へ出向き前泊しました。私どもの宗派では、本山で修行することを在堪(ざいかん)と言います。言うならば在堪同期の結婚式披露宴に出席をしました。在堪仲間が一同に介しうれしかったです。私は37歳で本山で修行をしたのですが、彼は当時20歳でした。我々の世界は歳は関係なく、一緒に修行をした者はすべて同級生です。彼は数年前に前住職であられるお父さんを亡くされ、若くして住職になられ久しぶりに会ったのですが、立派になられていました。我々の同期は現在、32歳から81歳までいます。歳は関係なくすべて同級生です。そして北は岩手県から南は香川県まで広くにわたっています。中々会うことができなく、久しぶりに在堪仲間に会うことができ、大変うれしかったです。重鎮の披露宴のスピーチの中で、ご縁の大切さを述べられていましたが、まさしく我々もご縁の中で生きているとつくづく感じられました。この度の結婚式に呼んでくれたこと、昔の在堪同期と久しぶりに会えたこと、すべてに感謝したいと思います。“ご縁”の大切さをしみじみ感じました。・・・By おっさま

11月は「全ての物を無くして 本当に大切なものがわかった」です

11月の「こころのことば」は、「全ての物を無くして 本当に大切なものがわかった」(萩原清虚作)です。自分なりに解釈をすると“人は無になって初めて大切な事がわかると言います。身近におきかえるなら、自分の周りから友達が去って行き、一人ぼっちになった時初めて友達の大切さや自分に対しての気遣いなどが分かるものです。我々は自分一人の力ででここまで来れたと勘違いしがちですが、自分が誰からも声を掛けられなくなった時、自分の本当の宝物が発見できます。ですから普段から人を大切にし、相手に対しての感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。”というように思います。いいことばですね。・・・By おっさま