弘長寺のご本尊は三尊であり、中央が阿弥陀如来像で、向かって右側が観音菩薩像、向かって左側が勢至菩薩像です。
ご本尊は、着衣や衣文の形式、撫で肩の体型などに鎌倉時代の様風をみることができます。
弘長寺には、位牌堂があります。この地区の冬はたくさんの雪におおわれ、お墓参りができません。よって冬でもお参りができるように、各家が位牌を寺院へ安置をしてお参りをしています。
また弘長寺の位牌堂の天井は、絵天井になっており、大変めずらしいです。
その位牌堂を守っているのが、観音菩薩さまです。
昔は食事や医療などが現在のようにしっかりとしておらず、子どもを亡くした方がたくさんいました。そこで弘長寺では古くから子安地蔵さまを安置し、子どもを亡くされた方々が、お参りできるようにしています。
三十三観音霊場を意味し、お参りをする事により各霊場をお参りしたこととなります。
弘長寺の三十三観音像は、昭和六年に檀徒の寄進によるものです。(一番~三十三番まで)
弘長寺の閻魔さまのまわりには、奪衣婆(だつえば)をはじめ沢山の家来が一緒にいます。
また、弘長寺では閻魔さまをお参りをした後、お顔が柔和に見えれば心にやましいものがなく、心が澄んだ人であり、怒った顔にみえれば心にやましいものがあるので、悔い改めるようにと言われています。
閻魔さまの横に、おびんづる様を安置しています。おびんづる様は、お釈迦さまの弟子の一人で、神通力にすぐれたお方です。
また“撫で仏(なでほとけ)”でもあり、弘長寺では昔から、檀徒の方々がお参りをした後、おびんづる様の手をとり、悪いところを撫でて「良くなれ」と利用していました。
弘長寺の本堂には神棚を作り、天照皇大神宮を祀ってあります。
お釈迦さまは、クシナガラのほとり、沙羅双樹(さらそうじゅ)のもとで入滅されました。
その模様は「涅槃経」に記されており、それに基づいて画かれたのが「釈迦涅槃図」です。
お釈迦さまが亡くなられたお姿が描かれ、“頭北西面”に安置されています。現在葬儀の時に、亡くなった方を北枕に安置するのは、お釈迦さまの亡くなられたお姿と同じ方向を向かせているのです。
この釈迦涅槃図は、元禄十二年(1699年)卯月九日に、現在の檀徒総代であられる遠藤家より寄進されたものです。
昔は、お釈迦さまが亡くなられた3月15日に檀徒の方々が集まり、だんごを作りこの「釈迦涅槃図」の前で“だんごまき”を行っていました。
ですが現在では時代の流れとともに、行われなくなりました。