Q お盆の意味は?
Q お盆の意味は?
A お盆は、ご先祖様の御霊をあの世からお迎えしてご供養する昔からの習わしのことです。正しくは「盂蘭盆(うらぼん)」と言って、逆さ吊りを意味するインドの言葉“ウランバナ”を漢字に音写したものです。昔、お釈迦様の弟子の中で一番神通力を持つ「目連(もくれん)」という方がいました。ある時、目連が神通力で亡くなった自分のお母さんが地獄で逆さ吊りにされ苦しむ姿を見て、どうしたらお母さんを救えるか、お釈迦様に相談をしたら、お釈迦様は「夏の修行が終わる7月15日に、お坊さん達に供物を施しなさい」と言いました。目連はこの教えに従って、お坊さんに食べ物を施したおかげで、目連のお母さんは救われたという説から、お盆が始まったとされます。
Q 8月1日を“ぼんぼちついたち”と言いますが、どういう意味ですか?
Q 8月1日を“ぼんぼちついたち”と言いますが、どういう意味ですか?(南魚沼地域での風習)
A 南魚沼地域では、8月1日に“ぼんぼちついたち”と言ってお寺にお米や野菜などを持って行く風習があります。この“ぼんぼち”とは「盆扶持(ぼんぶち)」が訛り、毎年8月1日に行われるので“ぼんぼちついたち”とい言うようになりました。この「扶持(ふち)」とは、“助ける、扶助する”という意味があります。8月はお盆などがあり、お寺は忙しくなるので、その前にお寺を助けるために8月1日にお米や野菜などを持って行ったものなのです。現在は、お米や野菜などから金品に代わってきています。それをお寺に持って行き、お寺はわざわざ遠いところを持って来てくれた感謝から、食事などの接待をします。この風習は、曹洞宗寺院や在方のお寺では現在も行われている風習です。ですが六日町の中心部に位置している弘長寺ではだんだん薄れてきました。・・・By おっさま
Q 金封袋の裏の折り返しは?
Q 金封袋の裏の折り返しは?
A 金封袋の裏の折り返しは
1.赤い水引 ・・・下方の折側が上になります
2.黒い水引 ・・・上方の折側が上になります
3.黄色い水引・・・上方の折側が上になります
おぼえ方
・うれしい事(赤い水引)は、“上をむいて”(折が上をむく)、悲しい事(黒・黄色い水引)は“下をむいて”(折が下をむく)
赤い水引 ・・・下方の折側が上になる(上をむいている)
黒い水引 ・・・上方の折側が上になる(下をむいている)
黄色い水引・・・上方の折側が上になる(下をむいている)
Q 金封袋について教えて下さい
Q 金封袋について
A 赤い水引の金封袋は、「お祝」用と「お見舞い」用があります。両方とも水引の色は赤色ですが袋が違います。「お祝い」用は、右上に“熨斗”が付きますが、「お見舞い」用は右上に“熨斗”が付きません。
左側が「お祝い」用で、右上に“熨斗”が付きます。
右側は「お見舞い」用で、右上に“熨斗”が付きません。
Q 仏事で使用する金封袋の「黒・白」と「黄・白」の水引はどういう時に使うの?
Q 仏事で使用する金封袋の「黒・白」と「黄・白」の水引はどういう時に使うの?
A この地方では、仏事ごとに使用する水引は「黒・白」と「黄・白」の2種類あります。「黒・白」の水引は見たことがあるかも知れませんが「黄・白」の水引は、この地方独特のものです。「黄・白」の水引を仏事で使用するのは、大阪方面から新潟方面にかけての日本海側で使用されていると聞いています。この南魚沼地域は群馬県境に位置しています。新潟県では「黄・白」の水引を使用しますが、群馬県より関東方面は「黄・白」の水引を使用しません。ですから関東補面の方は珍しく思うかもしれません。弘長寺での水引の色による区別ですが、「黒・白」の水引を使用する場合は、壱周忌までとします(壱周忌までは、喪中であり喪に服し「色を出さない」という意味から)。「黄・白」の水引を使用する場合には喪が明けてから、すなわち三回忌(壱周忌の翌年の年忌法要)以降としています(喪が明け、先祖に対する感謝のあらわれとして)。ですがこれは一つの目安ですので、色にこだわらずそのお包に気持ちを込めて渡すのが大事なのです。また関東方面から来られる方は、「黄・白」の水引がないのですから、「黒・白」でもかまいません。「黒・白」「黄・白」の水引の違いについては、各宗派やその寺院によっても違いがあるかもしれません。ですから菩提寺の住職へ聞いてそれに従うことが大事だと思います。PS.関東方面の方は、こちらに来たらコンビニエンスストアに寄ってください。「黄・白」の水引の袋が売られています。
左側が「黒・白」の水引。右側が「黄・白」の水引です。
弘長寺では壱周忌までは喪中なので「黒・白」の水引を使用
壱周忌が終わり、三回忌以降は喪があけたので「黄・白」の水引を使用
・・・ですが各宗派や住職の考え方にも違いがありますので、菩提寺の住職へ聞いてください。
Q 「御霊前」と「御仏前」の違いについて?
Q 「御霊前」と「御仏前」の違いについて?
A 「御霊前」と「御仏前」は各宗派により違いがあるかも知れませんが、弘長寺においての説明をさせて頂きます。昔は、葬儀や法要の時に備えるのは、地方ではお金がなく野菜などの農作物や供物などを供えたものでした。現在では金品を供えることが多くなりました。そして「御霊前」と「御仏前」の違いですが、こちらでは、弘長寺では葬儀の時に七本塔婆を書きます。それは故人が亡くなり49日間を中陰(ちゅういん)または中有(ちゅうう)と言います。この期間は、故人があの世へ旅立つ期間であり、故人が生と死、陰と陽の狭間にいるのでこのような呼び方をします。その間初初七日忌、二七日忌、三七日忌・・・と住職が故人の生前の罪を悔い改めるために経を読みます。よってこちらでは「四十九日忌まで仏さまが家の中にいる」と言われています。(家の中に神棚がある家は、神様は忌事を嫌うために49日間(四十九日忌法要が終わるまで)神棚に和紙などで目隠しをします)よって満中陰忌(四十九日忌)法要までは「御霊前」とし、それ以降は故人があの世へ旅立ったので「御仏前」とします。現在は、包み袋に「御霊前」や「御仏前」(“仏さまへ”という意味であり)と印刷されていて、それに金品を包みますが、仏さまへお金を差し上げても仏さまは自分で使うことはできません。これは昔から野菜などの農作物や供物を仏さまへ供えた風習から来ています。本来なら「御香資」や「御香料」と書き、その中に金品を入れて喪主または施主へ渡して、「私の代わりにお香を買って仏さまへ供えてください」というのがよいのかも知れません。・・・ですが一般的には「御香資」や「御香料」と印刷されているものが中々見当たりません。
Q 「南無阿弥陀佛」とは?
Q 「南無阿弥陀佛」とは?
A 弘長寺の宗旨は時宗であります。ご本尊様は阿弥陀佛さまです。「南無阿弥陀佛」の意味は、「南無」とは、インドの言葉サンスクリット語で“namo(ナーモ)”帰依すると訳します。このナーモが音写として“南無”になりました。「阿弥陀佛」は“無量光明の佛(amitaabha)”の「はかることのできない」という部分の“amita(アミタ)”を表し、それは「阿弥陀佛に帰依する」ということです。それは「阿弥陀佛さまへすべておまかせします」ということです。ですから阿弥陀佛さまをご本尊としている浄土宗や浄土真宗なども「南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)」と唱えます。また曹洞宗や臨済宗などはご本尊さまがお釈迦さまですので、「南無釈迦牟尼佛(なむしゃかむにぶつ)」と唱えます。真言宗はご本尊さまが大日如来さまで、「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と唱えます。日蓮宗や法華宗などは法華経の教え(法)を大切にしているので、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と唱えます。華厳宗や律宗などはご本尊さまが毘盧遮那佛さまですので、「南無毘盧遮那佛(なむびるしゃなぶつ)」と唱えます。このように各宗派が唱える言葉は、「南無(帰依する)+ご本尊さま」となることが多いのです。
Q 都会と南魚沼地域の納骨、お墓の文字の違いについて?
Q 都会と南魚沼地域の納骨、お墓の文字の違いについて?
A 1.納骨について
都会では、火葬場での収骨はせとものの骨壺に入れて、桐箱に修めます。そしてお墓への納骨は、その骨壺をお墓に修めます。南魚沼地域の収骨は、桐箱の中に直接、お骨を修めます。ですから、せとものの骨壺はありません。そしてお墓への納骨は、お骨を直接お墓の中に入れます。ですから先祖のお骨と一緒になります。お墓の下は土になっていて、お骨が自然の土に返るものだということと、その家の先祖や家族が同じ一族であるということです。こちらでは嫁いできたお嫁さん(他人)のお骨もその家の先祖たちと一緒になってお墓の中に入ります(混ざります)。
2.お墓の文字について
都会のお墓の文字(洋墓の文字は除く)は、「・・家之墓」というのが多いです。南魚沼地域でのお墓の文字は「先祖代々之墓」という文字が多くみられます。これはこの地域では、長男がその家の家督を継ぎ、先祖を守っていくという風習が強いのです。よってそれを繁栄をし、「先祖代々之墓」という文字が多いのです。ですがもう少し在方へ入って行くと墓に「萬霊塔」という文字が多くみられます。これは、巻(苗字が同じ一族)や本家・新宅関係などのお骨を一緒にお墓に納骨する風習から来ています。「萬霊塔」とは、よろずの霊を一緒に修めるお墓という意味なのです。最近では、お墓は家単位で作るようになったので、「萬霊塔」はあまり使われず、「先祖代々之墓」や「・・家之墓」が多くなりました。ですがごく最近では、洋墓を建立する家もあらわれ、墓の文字は多種多用となってきました。
Q 住職は、塔婆に「追善供養」とか書きますが、これはどういうことですか?
Q 住職は、塔婆に「追善供養」とか書きますが、これはどういうことですか?
A 1.“追善(ついぜん)”とは、「追って善をなす」ということです。仏さまへ経などを読んで、功徳を増し善を積んでいただきたい意向のあらわれであります。それは我々がこのように満ち足りた人生が過ごせるのも、亡くなられた方々がいたからこそ今があるのです。ですが現実的に浄土の世界へ行かれた方々に、感謝を述べることができません。よって「追って善をなす」は、「あとから感謝の気持ちをあげる」と置き換えて、檀家さんへ説明をしています。
2.”供養(くよう)”とは、「供に養う」という意味です。浄土へ行かれた仏さまは、家族や親せき縁者、子孫などを静かに見守っています。このように見守っていてくれる仏さまへこちらも感謝を忘れてはなりません。よって仏事にならい、年回忌、彼岸、お盆などに経をあげて仏さまへ感謝の気持ちを込めて行います。ですから伴に養うことが供養なのです。こちらが仏さまへ感謝をしないと、仏さまの一方通行であるので供養と言わないのです。そして”追善”と”供養”は一緒に言われることが多く「追善供養」という言葉がよく使われます。
そうて法事などを営むと、普段忙しく会うことができなかった人も、仏さまを中心に会うことができます。これも亡くなられた先祖さまのおかげなのです。
Q 人が亡くなると、普段とは逆のことをしますが、なぜですか?
Q 人が亡くなると、普段とは逆のことをしますが、なぜですか?
A 人が亡くなると、いつもとは逆に行う「逆さごと」が行われます。入棺時に足袋を左右逆に履かせたり、場所によっては洋服の襟を顔の方に、着物の襟を足元に掛けるという「逆さ着物」や屏風を天地逆にして枕元に立てる「逆さ屏風」や着物を相手から見て左前にしたりします。このようにする理由は、冥界はこの世とは「あべこべ」になっていると考えられているからです。人がこの世を去って天界に登った場合、下を見下ろすと地上で見た場合と逆になるという説もあります。故人の周囲を天界と同じにすることによって、無事に天界へ送ろうと考えたのです。またこちらの地方では、自宅で葬儀が行われた場合、出棺は通常の玄関から出すのではなく、縁側などからご遺体を出します。それは死というものの恐怖心から、通常の生活とは違う方法を行っているものと思われれます。「逆さごと」も通常の生活と違うことを行うことによって、死という恐怖心を日常に取り入れないようにしたあらわれです。